ベッドの歴史

日本のベッドの歴史
<戦後のベッドの庶民への拡大>

現在のベッドの普及


現在日本国民のおおよそ1人/3人を超える人がベッドを使用しております、でも、現在のベッドも、普及が始まったのは、戦後のことです、
それまでも数社のベッドを作る所はありましたが、しかし全国的な一般の人への普及は、フランスベッドの登場によって、初めて行われました。
これは、「昼はソファー、夜はベッド」のキャッチフレーズのTV宣伝で、始まった、ソファーベッドから始まりました。
戦後の経済成長化で、所得の向上により、洋風化が始まり、需要に合わせた商品として、ベッドの普及がソファーベッドから始まりました。
そしてバブルの時期、180万台のベッドが販売された時期を境に、徐々に減少してきて、現在に至っております。年度にもよりますが、現在は
おおよそ国内生産60万台、輸入品60万台合計120万台前後が、国内で販売されております。

ベッドの購入回数

一般的に人は人生に中でベッドを購入する可能性は最大5回しか有りません。

1回目は、親に買ってもらう子供ベッド(一般的に5万円以下)
2回目は、結婚の折の婚礼用ベッド(一般的に10万円から20万円位)
3回目は、新築の折のツイン(夫婦用)のベッド(一般的に2台で15万円から30万円位)
4回目は、退職時のリフォームのベッド(一般的に2台で15万円から20万円位)
5回目は、介護の折の介護ベッド(介護保険のレンタル)

ベッドの普及の歴史は、この5回のチャンスにメーカ−が商品提案をしてきた歴史です。

昔のベッドとは

しかし、人は、眠るとき必ず、寝具を用います、ところで、ベッドの歴史についてお話をしてみましょう。
みなさん、お家で、冬寝具に入るとき、無意識に布団の上に、着ていた服を広げて掛けて寝た覚えはありませんか?
あまり効果があるとは、思わなくても、暖かいと思って、いますので、多くの方がやっていますね、そのとおりです、
平安絵巻を見て頂くと、一二単衣を掛けて寝ている絵がありますね、そうです、一二単衣は寝具でもあったのです。
では、ふとんは?綿の日本への伝来が室町時代ですから、平安の時代には、敷き布団は無く、畳が敷き布団?(ベッド)でした。
当時畳は高価でしたので、平安時代の源氏絵巻にも、板張りの所どころに畳が置いてあり、そこに人が座っている絵が残っております。
源氏物語 鈴虫二 つまり、板張りの上に畳という、マットを敷いて、一二単衣を掛けて寝ていたのが歴史に残る日本式ベッド(畳)です。
これがおそらく日本のベッド(畳)の記録としては古い方でしょう。それより古い時代に唐の国から伝わり、一部の皇族方が使用した
という話がありますが、あくまで特殊で、一般の方が使用するのは、江戸時代以降になります。戦国時代の大河ドラマなどでは
かなり、忠実な時代考証がされ、そのことがよく解ります。古いことわざに「起きて半畳、寝て一畳」と言っておりますが、
まさに昔の日本のベッドは「畳」です、昔は畳が高価でしたので、板の間に畳を置いてそこに、座り、また寝たのです。
畳が一般化するのは江戸時代からです、

しかし明治になり、日本にベッドが入り始めて、日本でのベッドを作り始めるひとが出始めてきました、
しかしこの時代はあくまで一部の高級官僚や、お金持ちの道具としてほそぼそと要望により特注で作られていただけです、
この時代で現在まで残っているものはほとんどなぐ、実質的に戦後の時代に現在のベッドの基礎を創りました。

戦後のベッドの普及


フランスベッドによる家庭用ベッドの普及>

戦後のベッドの普及はフランスベッドが中心となります、これ以降、フランスベッドの動きを中心に記載させて頂きます。
なぜなら、戦後の布団しかない日本で始めて、一般市民にベッドを作り、販売したのはフランスベッドでした、今でもおそらく
長い年月の積み重ねで日本のベッドの総台数の1/3近くはフランスベッドでしょう。
それでは、その流れを見てみましょう。

昭和30年代から昭和64年(平成まで)のフランスベッドの商品展開と商品特徴


ベッドが一般に普及しはじめたのは、やはり戦後です、戦後の混乱の中から、双葉製作所(現在のフランスベッド)が
車のシートの生産からスプリングを使ったソファーベッドの生産と販売をはじめました。ベッドとして初めてTV宣伝を始めて、
「昼はソファー、夜はベッド」
のソファーベッドの版売を始めました。
当時D型のシングルと言うことで、デーシンと呼ばれていました。
フランスベッドが他のベッドメーカーと異なっていたのは、販売のターゲットを一部の金持ちの顧客から
一般ユーザーを対象にした、直接販売をはじめたことです。現在のフランスベッド販売という会社です。当時は月賦販売を行い、
また月掛け方式と言う、月々少しづつ掛け金をして、一定の金額が貯まると商品を購入すると言う方法で、商品説明と販売を行う、
人海戦術で地域をローラー作戦で回り、市場での認知度を高めていきました、一部の高級層から庶民のベッドへの始まりでした

それにTV宣伝がバックアップしました。商品単価が当時の大卒の初任給より高い商品でしたが徹底的な宣伝で、市場の認知度を
上げてゆき、ベッド市場を創りあげました。昭和30年から40年にかけては、一般の認知度では、フランスベッド以外のベッドは
ありませんでした。

またこの時代はフランスベッドの成功をみて,多数のベッドメーカーがこの市場に林立し始めてきました。しかしこの後の時代は、
日本経済の成長に合わせて、各ベッドメーカーがともに伸びる時代でもありました。この当時(昭和30年)の販売店は百貨店、
フランスベッド販売が中心で、あとは問屋さん経由、呉服店などでした。むかしは呉服店でベッドを販売しておりました。

この後、寝具店がベッドの販売ルートに登場します。これは、戦後出来た新業態 寝具店(戦前には呉服店が布団を販売していました。)
が販売を始めました、この頃からフランスベッドの営業所が全国に出来てきて、問屋さん経由からメーカーが販売店に対して直接卸販売を
行う体制になり、飛躍的に売り上げを上げていきました。昭和40年代になると、家具屋さんの台頭がめざましいものがありました、

この時代にフランスベッドは呉服、寝具店のカタログ販売から商品を展示して販売する、家具店への販売シフトを行いました。
このときからフランスベッドの全国営業所網が強い販売システムとして機能を始めました。

昭和30年から40年のベッド商品の特徴


それまでのベッドを知って頂く為のソファーベッドから、38年本格的な1本ベッドが発売されました、庶民のベッドの時代の始まりです。
この時代の商品特徴は、当時のアメリカの影響が多い、ダブルスプリング(ダブルクッション)タイプが多いことです。
特に高級品(当時の価格10万円、現在の価格20万円から30万円)はダブルクッションタイプでした。
ダブルクッションは上下ともスプリングの為、耐久性が高く、吸湿発散性が高いので、ホテルベッドで良く使われるタイプです。

この当時は双葉製作所が車のシート(スバルのシート)の生産からベッドの生産を始めたことから、フレームに鋼材を使った商品がありました。
特に30年から40年前半の商品のフレームには、スチールフレーム形が多いようです。
スチールフレームは現在でも数少ない2段ベッド のスチールポールタイプの棚付タイプを作っています、この商品も多く販売され、
その剛性の高さから、会社の社員寮などでも長い間使用されました。

40年後半(48年頃)にかけて増えてきたのが、ヘッドボードにボタンダウン(ボタン締め)加工の通称ハリウッドスタイルと呼ばれる
ダブルクッション、フラットタイプが一番売れ筋の10万円の価格帯にそろい、市場を席巻しました。
この当時、昭和48年度の大卒初任給が4万円前後のことからベッドの売れ筋価格が初任給の2倍はしたと言うことです。
おもしろいのは48年頃の商品の形が関東系のメーカーはハリウッドスタイル が中心なのに、関西系ベッドメーカーは棚付(宮付)
タイプが多い点です、この棚付 タイプはおもに関西以西でよく売れ、フランスベッドの関西地の商品展開では棚付と棚無し
が半々で有った点です、これは関西圏以西では比較的部屋にゆとりがあり、和室との相性に良い、棚付が好まれたと思われます
当時の関西地区では広島ベッド(現在のドリームベッド)が良い棚付商品を作っておりました。

海外メーカーとの提携


当時のフランスベッドは積極的に海外メーカーを中心に海外メーカーと提携を行い、そのスプリングシステムを取り入れてきました.
英国皇室御用達のスランバーランド社(昭和45年)、アメリカのNO 1のベッドメーカー シーリー社(昭和38年より)などです、
スランバーランド社のマルチラス、スプリングシズテム、(現在の高密度連続スプリング)
マットレスに於いて、ボンネルスプリングタイプしかない日本市場に連続コイルスプリングを導入しました。
シーリー社のトーションバーシステム(昭和47年、ネジリを利用したボトム用スプリング、この為、ボトムは軽量で扱いやすかった、。
(トーションバー・スプリングシステムは、戦車や車に使われているシステムをベッドのボトムに使う方式、
 トーションバー(torsion bar) とは金属棒を捻る時の反発力を利用したばねの一種である。)

ボンネルスプリングしか持たない他のメーカーに対して2つのスプリングシステム圧倒的な強みを発揮しました。
マットレスのマルチラススプリング、ボトムのトーションバーシステムの商品でした。
ただデザイン的にはそのスプリングを使って国内デザインの商品として展開してきました。

50年代の終わりに日本のベッドの流れが、堅めなスプリングが主流となり、その流れの中で、シーリー社との提携は終わりました。
トーションバーシステムのダブルクッションから、ベッドが固めに作りやすいワンクッションに変わってきたためです。
現在のシーリージャパンは当時のスズランベッドがこの後のシーリー社と提携して、社名をかえたものです。

<昭和47年当時のフランスベッドの商品群>



47年から48年ごろは好景気でベッドが飛ぶように売れていました、この時代に現在のフランスベッドの基本形が確率されていました。
この当時のヒット商品をフランスベッドを中心に見てみましょう。

最高級品 カリソマテック ダブルクッション、木製ヘッドボード、多針キルティング、レッグキャスター、

中級品  スランバーカスタム(のちのハイジェニックカスタム)

普及品  ヤングルックE 若者向きの基本形ベッド

<昭和50年頃の販売したシーリーブランドの商品>

最高級品 ポスチャーペデック プレステージF 当時カリソマテックと並ぶ高級品でした。ダブルクッション・トションバー

中級品  ポスチャーペデック スタンダード(通称シーリースタンダード)トーションバーとボリュウムのあるマットでヒット

普及品  スリーパー 真っ白のマット生地にバラのデザイン、大変売れました。ヒット商品です。

<昭和50年頃の販売した スランバーランドブランドの商品>

最高級品 スランバーランド シルバー 1つのマットに2つのスプリングを内蔵した、ダブルデッキスプリングを採用

中級品  スランバーランドブラウン 棚付と棚無しの2種類があり数量がでました。

普及品  スランバーランド ライラック クールなブルーを基調にしたグッドデザイン商品

<昭和50年から60年年当時のフランスベッドの商品群>


<ベッドのバリエーションの開花期>

高度成長期の商品は、すべてにチャレンジ精神が見て取れます。

モルボンベッド
50年頃からマットの周囲を硬質ウレタンで巻く技術が導入され、マットの周囲が丸みを帯びたタイプが販売され、
当時のヒット商品の1つと数えられます。著名なのは
ハニーライフ015

またその派生型の西日本地区オリジナルの商品も良く売れました。
SS-03
共にモルボンマットを使用しておりました。

この丸いマットは以外と掛け布団がすべり落ちにくいと、販売の現場では言われ、そのデザインと未来的な感覚が
高度成長期の商品とマッチしておりました。

ユニットベッド
ベッドをシステムとして周辺家具とのセット化を試みた商品、またこの時代にツイン展示を提案することが始まりました。

リラックスベッドの発売(昭和50年)
普通ベッドに稼働式、リクライニング機能を持たせた、イタリアから象眼技術を取り入れベッドのHBの採用、またルイ王朝風のクラシカルベッドの生産・販売を昭和53年から開始、

パピヨンシリーズ またソファーベッドが本格的なスプリング入りで作られました、パピヨンシリーズです。、事務所や、結構個人宅にもお求めされていました。
ソファーベッドは狭い日本では、根強い需要があり、現在まで結構売れております。


<昭和60年から平成6年頃までのフランスベッドの商品群>



<バブル時代の商品の細分化とバリエーションの始まり>

日本経済の成長に伴い、世帯普及率が上がってきており、商品飽和に時期になります、平成4年度の総理府統計局の所有数量数値です。
これを見ると、ベッドは 935台/1000世帯の高い普及率と成ってきています。完全に1人1台の時代となっています。ただしこの時期は2.5人/世帯ですので個人普及率は30%前後です。
高級品がもてはやされた時期ですが、商品的には、全体がボリュームアップと言っていいようです。すなわち全国的にこの時期の特徴は中級品が拡大しました。
これはこの後のバブル崩壊期に高級品と廉価品に商品が分かれた時期と対象的です。


高級品 ウオーターベッドバブル時代のベッドの代名詞 ウオーターベッドは各メーカーが競って投入しましたが、
     素材がビニールということで、耐久性に問題があり、自然と消滅の方向に向かいました。良い特徴がある商品ですが、素材の改良が無ければ
     商品としては厳しいものがあります。

中級品 ハードポジオランジュゆったり幅のベッド、ワイドダブルサイズが売れました。
一クラス上の商品を目指して、ダブルサイズの少し幅広のワイドダブルがこの頃からうれました。

普及品 シオニア&コーネル05 自然の間伐材を使用した、シングルベッド この頃から、ナチュラル志向が始まりました。




では如何にして、この販売をなしえたのか?

販売戦略に続く


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